蛟眠る

第二話


それから数日後のこと。
小十郎は付添人と共にひと組の父娘と対峙していた。
何も果たしあいではないが――娘と小十郎の間には奇妙な緊張感が漂っていた。
実は黒龍を下賜されたあの場で輝宗に続けざまに「ところで見合いもしてみないか」とあっけらかんと言ったのだ。唖然とする小十郎はなしくずしに見合いをすることになってしまった。
そして、今日がその日であったのだ。その相手が目の前の娘で、大町の検断職を任されている矢内重定の娘、蔦であるという。彼女の隣にいる父はもちろん重定その人である。
重定はちょっと浮ついているようで、口数が多い。反対に娘は黙っている。顔はやや伏せられていて仔細に観察はできないが、醜女ではないようだった。むしろ顔に問題があるのは俺の方か、と男は思う。強面の小十郎である。柔和な顔つきが好まれる昨今にあって、16だという蔦の年頃の娘に懐かれた記憶はとんとない。
――まあ、だから顔を伏せられても仕方ない。
小十郎が娘のつややかな黒髪を眺めながらそう思った時だった。不意に娘がすっと顔をあげた。
色白だが健康そうな肌。紅をひいた唇も艶やかだ。目は円らな、というより少し切れ長で可愛らしいというよりも美しいという形容がしっくりくる。その目が数度瞬きした。まっすぐ見つめてくる瞳に男が少したじろぐと、娘の目がわずか見開かれた。そして柔らかな笑みが目元と口元に控えめに現れて、小十郎はドキリとした。
しばらくして、重定と輝宗から見合いの付添人兼仲人役を任された人物が例の言葉を口にした。さて後は若いもの同士で、というやつである。
そんなわけで、世間の通例のごとく小十郎は重定の娘と二人きりで対峙することになってしまった。
「……」
「……」
重定と仲人の気配が去るまでどちらも口を閉じたままだった。
庭に面した障子は開け放たれており、サアッと風の吹く音がした。雀の遊ぶのんびりとした庭とは対照的に部屋の中はわずか暗く緊張感は相変わらず、いや増すばかりである。
しばらくして、先に口を開いたのは娘の方だった。
「今日はいいお天気ですね」
庭を眺めて世間話をするようにのんびりと言った娘に、小十郎はなんとか「そうですね」と言っただけだった。
「蔦と申します」
そんな小十郎に改めて娘は会釈した。律義に小十郎もそれに返す。同時に頭が上がり、目があった。娘が笑う。
「庭に降りて散歩しませんか」
切り出したのはまたも蔦だった。小十郎は頷いて立ち上がる。縁側から庭へ降りる際、手を貸せば小さくて細いが温かい指先が重ねられてまた小十郎はドキリとした。
「本当にいいお天気」
「畑仕事にはもってこいの日です」
思わずそう返して、小十郎はギョっとした。事前に政宗から言われていたのである。
――いいか、畑とかなんとか色気のないこと言うんじゃねえぞ、絶対だ、と。
女の口説き方に関しては、十も年下だというのに主の方が上である。それを思い出して頭が痛くなったのでこめかみを撫でれば、蔦が心配そうにのぞきこんできた。
「いえ、なんでもありません」
言えば蔦はほっと息をついた。
「畑では何を?」
蔦がそのまま顔をまっすぐに見つめて聞いてきたので、すいと小十郎目をそらした。
「まあ、季節のものを。当たり前ですが」
「すると今は……」
蔦は指を折りながらいくつか野菜の名前を挙げた。確かにそのいくつかは小十郎が育てていた。
「……、詳しいですね」
「厨にも立ちますから、少しだけなら」
「そうですか」
……沈黙。そのまま庭を散策する。お互いに時折相手を盗み見るが、話題が見つからない。小十郎が参り始めたところで、あ、と蔦が声をあげた。娘は思わず立ち止まる小十郎の先を行く。
「この野草、食べられますよね」
数歩先で屈んだ蔦の傍らに行けば、彼女はある草を指し示した。小十郎もその脇に屈む。屈んだ蔦のちんまりとしたその姿にふと目を取られ、護ってやらねば、という気持ちが不意に湧いてきて小十郎は頭を振った。それから娘に答える。
「ああ、確かに」
「天麩羅にすると美味しいです。家ではもっぱらおひたしですが」
「天麩羅だったら塩だな」
改まった口調を忘れて言えば、蔦が間近でにっこりした。あたたかな、春のような優しい笑みだ。その笑顔に一瞬見惚れそうになって、小十郎は目を逸らした。
「蔦殿」
「はい」
そして、蔦の手をとって立ち上がらせる。
「自分は、生涯を政宗様に捧げる所存」
「……」
「ですから良い夫とはなれませぬ。戦場にて果てるか、腹を切ることになるかわかりませぬが」
蔦はまっすぐ見つめてくる。
「今回の縁談は輝宗様の命とはいえ、断っていただくのが賢明かと。こちらからお断りすれば貴方のお名前にキズがつきましょうが、そちらからならば」
そこまで言うと、蔦は苦笑した。
「片倉様、私の歳はお聞きでしょうか」
「……、政宗様より5つほど上と聞いておりますが」
するとくすりと蔦は笑った。首をかしげる小十郎に蔦は言う。
「いえ本当に、若君のために生きておられる方だなと思ったので。……歳を聞いてお分かりかと思いますが、実は破談ならすでに2、3は。先方からのものばかりです。父がよくしゃべってましたでしょう? 父は焦っているようなのです」
先方からの破談と聞いて驚いたのはむしろ小十郎だ。
「ご縁がなかったようなのです」
蔦は気にした風もなく言う。
「片倉様の若君への忠心は聞き及んでおります。若君はご嫡男であらせられますから、家督もいずれ、というお話も。そうすれば近侍なさっている片倉様も重用される、と父が浮かれて」
「……」
さすがにあけっぴろげに言われて小十郎は眉を寄せた。蔦がまた苦笑する。
「父の言いたいことが分からないわけではありません。でも御覚悟をお聞かせいただいて、こちらにそういう心持があったことをお伝えせねば、と思いました」
「貴方もそう、ですか?」
蔦が首をかしげた。
「家と家、ということは頭では理解できますが、よくわかりません」
彼女はそれだけ言うと、ふと小十郎の目をまっすぐ見つめた。
「片倉様の望む望まずにかかわらず、そうなれば禄も所領も増えますね」
「ああ……いえ、はい」
小十郎の律義な言いなおしにくすりと蔦が笑う。また小十郎はドキリとした。
「禄や所領が増えれば、家中の者なども増えましょう。奥、というのはただの負担ではなく、それらを取り仕切るものでもあります。片倉様、所帯を持つということはそれをしてくれる者を迎え入れるということでもあるのです」
言われてはっとしたような小十郎に蔦は付け足した。「母の受け売りですけれど」
それからまた改めて蔦は続ける。
「殿がご心配なさっているのは、なにも世間体などだけではなく、そういうことも含めてではないでしょうか……。差し出がましいかもしれませんが、そういう考え方もある、と考えてみてはいかがでしょうか」
「……、いや、差し出がましいなどと。自分には思いもつかなかったことです」
蔦はまた笑う。
「母の小言も、やはり聞いてみるものですね」
笑う蔦に思わず小十郎もつられた。すると、蔦が目を見開いた。それからまた、優しく微笑む。
「片倉様、笑っておられる方が素敵です」
屈託なく言われて小十郎はまたドキリとした。


それからまた数日後。小十郎は城下の外れのとあるあぜ道に、蔦と共に居た。
小十郎はまっすぐ見上げてくる女の目を見ながら言った。
「俺は、政宗様のために死ぬ覚悟ができている。自分で死のうとは思わないが、求められれば死ぬ覚悟。家も己も顧みる気はない。もともと身一つ以外何もなかったからだ。そんな者を伴侶にすればロクでもないことになる」
蔦はやはりまっすぐ見つめてくる。そして静かに言葉の続きを待っている。小十郎はしっかりと視線を返し、続けた。
「幸せにしてやるとは誓えない。だから――この話は、なかったものとして扱っていただきたい」
蔦はまっすぐに小十郎の言葉を受け止め――そっと目を伏せた。
「――承知いたしました」
女はそれだけ言うと、小十郎に会釈をして踵を返した。その所作があまりにも綺麗で、小十郎はしばらく動くことができなかった。



輝宗の意図がわからず少々困惑していた小十郎に蔦は妻――奥というのは負担になるばかりではなく家政を取り仕切ってくれるものを迎え入れることになるのだ、ということを諭し――本人は母からの受け売りだと言ったが――、同時に小十郎の趣味に関しても理解を示した。そして何より、少ない時間の中で彼女は言葉少なになりがちな小十郎に煩わしくない沈黙と談笑を与えてくれた。
優しくまっすぐな目をした蔦を気に入らなかったといえば嘘になる。
むしろ、好意をおぼえたといっていい。
だが、結局その話は破談となった。いや、小十郎が破談にしたのだ。
小十郎の主の梵天丸は、気に入った女を手に入れないという近侍の選択に呆れた顔をし、縁談を勧めた国主輝宗は落胆したようだった。
「お前に似あいになるような、あの娘以上の娘を探すのは少し難しそうだ」
という国主に小十郎は無礼にならないように言葉を探しながら、やはり自分は所帯を持つつもりはない、と伝えると、輝宗は肩を落とした。
そして国主の前を辞する際、輝宗が
「さて、重定への詫びはどうしようか……」
とブツブツ言うのが聞こえ、さらに申し訳なくなった小十郎だがこればかりはどうしようもなかった。
あの「願い」を見届ける代役となるには、蔦の言葉は正しくとも、自分にとっては妻も所帯も家も足かせになるとしか思われなかったのである――とは、言えない小十郎であった。



そのまた数日後、小十郎の城の部屋を二人の男が訪ねてきた。
二人は兄弟で、それぞれ佐藤次郎右衛門定郷、金蔵標郷と名乗った。小十郎より二つばかり歳下の定郷は切れ長の目にあまり表情の読めない顔をしており、そのひとつ下の弟標郷は兄よりは人好きのする顔をしていた。伊達家に仕える武士であった二人は、主の要請により主家を離れて小十郎の――家臣の家臣となるというのだ。
もともと、輝宗の計画では小十郎に所帯と部下を持たせるものであったらしい。
その話がひとつなくなり、もうひとつもなくなるものと小十郎は思っていた――が、佐藤家は特に何も言わなかったらしく輝宗は予定通りにその命を下した。「まあ、弟子でもできたと思え」とは輝宗の言である。しかしそう思うには、標郷はともかく定郷は歳が近すぎる。
「言っておくがいい待遇は期待するな」
縁談を断ったから、こちらは断るわけにはいかず受け入れるしかなかった小十郎が言うと、兄弟は浅く頭を下げた。
「もとより、我らは大殿より、片倉様が若君に心おきなく仕えられるように、と命じられた身。待遇の善し悪しでお仕えすると決めたのではありませぬ」
定郷の淀みない声に小十郎が思わずじっと定郷を見れば、彼はわずか顔を上げ鋭い視線を返えしてきた。小十郎はその定郷の目の奥に何かを推し量るような――いや、値踏みするようなものを見つけて眉を寄せた。
しばし、これから主従に成るべき二人の無言の攻防があった。
そこへ変化をもたらしたのは弟の標郷の快活でどこか陽気な声であった。先に目をそちらへ向けたのは定郷である。
「兄は戦に幾度かすでに出ております。少し前は実元様の軍に加わっております。兄は騎馬をもって槍を振るうことを得意としております。わたしは、どちらかといえば兄よりは算術が得意です。どうぞ適所にお使いください」
「そうか」
標郷の顔を見れば、弟の方には小十郎を値踏み――矯めつ眇めつするような視線はなかった。そして標郷は続けて愛想のよい顔と声で言う。
「実はわたしの下にもう一人弟がおります。初陣もまだですが、稽古でもなかなか度胸のある奴です。弟もいずれ、殿にお仕えすることに――」
「たのもー!」
標郷が言い終わらないうちに、表で騒ぐ声が聞こえた。定郷はそちらへ顔をやり、標郷はわずか飛び上がったように見えた。小十郎は眉を寄せる。
「……なんだ?」
「――末の弟の秀直のようです」
定郷が静かに言った。標郷は目に見えて動揺している。標郷が兄の袖を引いた。
「あ、兄上、どうしよう」
「たーのーもー!」
袖を引くすぐ下の弟の手を見、末の弟の声を聞いた定郷はフウとため息をついた。しかし続けて淀みなく、迷いなく小十郎に告げる。
「末の弟はこの度の異動、納得しておりません」
「……そうか」
わからんでもない、と小十郎は思った。身分は低いとはいえ、伊達家の直参であったのが陪臣に下るのである。主命と兄二人は受け入れたようだが、末の弟は違ったということか。
小十郎はすっくと立ち上がり、障子をあけて庭に面する廊下へ出た。見れば、元服したばかりかという年頃の男児が庭に仁王立ちしていた。どうやって入って来たのか。兄たちに遅れたとでも門番に告げたのだろうか。
「片倉小十郎景綱殿か!」
「そうだ」
「拙者は佐藤大学秀直と申す!」
小十郎は背中に二つの気配が移動してくるのを感じた。そのうち一つが「拙者……って……」と呆れて呟くのが聞こえた。標郷の声だ。兄二人も出てきたのだ。
「秀直、何をしている」
定郷が朗々とした声で言った。すると秀直が一番上の兄を睨みつけた。
「オレは又家来になんかなんねーぞ! 殿のもとで御家を助けてヒトハタ上げるんだ!」
「……」
定郷は表情のない顔で末の弟を見下ろしていた。標郷は頭を抱えている。だが秀直は兄たちの様子を気にもとめず、小十郎に向かってまくしたてた。
「佐藤は伊達家にお仕えしてるんだ! ぽっと出の笛吹きなんかに仕えられるかよ!」
小十郎がピクリと眉を動かした。
笛吹き、というのは小十郎に対する蔑称であった。実家の関係で笛を得意とした小十郎ははじめ輝宗に笛の腕を買われたのだ。その後輝宗の腹心遠藤基信の目にとまり、誠実さと内に秘める才能を見いだされ、若君梵天丸の傅役となった。
その小十郎の出世を快く思わないものが、彼を「笛吹き」と呼ぶのを小十郎も知っていた。
「笛吹きなのは事実だが、真っ向言われると気分がよくねぇな」
声がいくらか下がり、標郷が後ろで震えあがったのが感じられた。だが相変わらず、長兄は泰然としているように感じられる。
「で、何の用だ。不服ならそのまま直参を願い出ればいい。お前の仕官はまだ先だ。俺に喧嘩売ってもテメェの評判落とすだけだぜ」
心配を装いつつ不快を伝える。だが秀直は空気が読めないのかがむしゃらなのか、小十郎に指を突き付けさらに言葉を投げつけてきた。
「佐藤は貴殿に仕えぬ!」
「……」
背後で標郷が「十把一絡げに巻き込むなよ……」というのが聞こえた。だが長兄が動揺した気配はやはり感じられなかった。
「だが! それだけでは殿も納得してくださらない! ゆえに、オレは貴殿に打ち勝って仕える価値なしと証明しにまいったのだ!」
「成程」
短くいって、小十郎は秀直を見下ろした。育ちきらない少年らしさを残す体格は、小十郎よりずいぶんと小さい。威勢だけででかく見えることもあるな、と小十郎は胸の内でごちた。梵天丸ともずいぶん違う鼻息の荒い少年に、小十郎は低い声で告げた。
「それで、なにで証明するんだ」
「互いに武士ならば! 刀だ!」
笛吹きと言ったばかりの口で秀直は今度は小十郎を武士と言った。それが滑稽で、小十郎は一瞬間をおいて吹き出した。
「な、なんだ!」
「いや」
口元を押さえて、クッと笑った後息を整える。
「まあ、いい――相手をしてやる」
場所を変える、木太刀でも持ってくるから先にいってろ――小十郎はそう言って踵を返した。
その時不意に定郷と目があった。その視線はやはり静かに小十郎を見定めようとしていた。小十郎は先ほども感じたそれを確信した。そして定郷の言葉を思い出す。
――我らは大殿より、片倉様が若君に心おきなく仕えられるように、と命じられた身。待遇の善し悪しでお仕えすると決めたのではありませぬ。
翻ってみれば、待遇の善し悪しはともかくとして、命じられたから動いたのだ、という言葉であった。彼らの心中は問われなかったということである。
だが問われなかったとはいえ定郷の心中にも含むところがあるのだろう、と小十郎は遅まきながら気づき、彼の視線の意味を理解した。
――どうやら俺は再び試されているようだ。
だが小十郎は何も言わず、ただ部屋へ戻った。


幸い、城の中には修練場がある。
場所を移した果たしあい――のような場――には、三兄弟と小十郎がいた。
秀直は真剣勝負を望んだが、城内での流血は避けるべしと小十郎は退けた。
木太刀での仕合いとなった。
さきほどの秀直の大音声の結果、城中にあっという間に話が広がり、手が空いて暇なもの、面白い物が好きなもの、とりあえず職務を放り出したいものなどが修練場に集まってきていた。
――笛吹きが小僧っ子に喧嘩を売られたぞ。
そう面白そうに言うものもある。
小十郎は気にかけなかったが、次第に集まる城仕えの者たちに秀直は少しばかり臆したようだった。一方定郷は泰然と背筋を伸ばしており、標郷は落ち着かなさそうにあたりを見回している。
観衆の中から立会人に手を挙げる者がおり、形は整った。
礼の後、木太刀を構える。切っ先がいくらか秀直の方が低い。
だが先に動いたのは秀直だった。打ちこんで来る一撃目を小十郎は受け止める。
秀直は、愚直なまでにまっすぐに切り込んでくる。小十郎はそれを右へ左へかわす。幾度か木のぶつかる甲高い音が修練場に響いた。
秀直は梵天丸よりは年上で修練の期間が長いからか、主君との稽古よりはそれは難儀であったかもしれない。だがそれも「比べれば」の話で、秀直の剣術は小十郎よりもいくらも落ちる。
右へ、左へ数度避けたところで秀直の剣筋が愚直すぎることに小十郎は気づいた。
――猪突猛進。
良くも悪くもそういう太刀筋であった。
そして再びまっすぐに木太刀が振り下ろされる。小十郎はそれを右へ大きく避けた。さらに二歩右へ動く。すると、秀直の視線がぶれた。それまで視界の中央へ納めていた小十郎の姿が大きく寄ってしまったのだ。目玉が動いて相手を探す。体の芯がそれに従ってわずかにズレる。切っ先はさらに逸れて、小十郎ではないところを睨んだ。
小十郎はあえてその隙をつかなかった。
――やはりな。
そう思っただけであった。
さらに二、三度大きく避けることを繰り返すと秀直の太刀筋はすぐに乱れた。肩で息をする秀直に小十郎は標郷の言葉を思い出す。
――たしか、初陣もまだだった、か。
配分を知らぬ踏み込み。恐れを知らぬ力加減。この修練場においては勇敢に映るだろう。だが、一歩戦場へ出ればどうなる。それは蛮勇ともなる。
――幼い。
小十郎とてまだ若い。しかし、戦場、というより喧嘩の仕方は知っていた。姉は歳が離れすぎているがゆえに隅々まで目が届くとは言えず、小十郎は幼いころから独りで暴力に立ち向かわねばならない時があった。だが秀直は兄二人と歳が近い。雛のごとくその翼の下に護られているのだろうか、殺気も弱く相手を打ち倒そうという気概も小十郎の知るものとは僅かにズレている。
それと剣筋の素直さは梵天丸にも似たようなところがあるのだ。幼さゆえか、それとも保護してくれるものがいるという共通点か。その由来は小十郎にはわからない。
だが、くじかねばなるまい、と小十郎は思った。
直参になるにしろ、小十郎に仕えるにしろ、どの道秀直は伊達家の兵力となるのだ。しかしそれは一度きりの馬鹿力では困る。長く仕え、出陣してこその本当の力である。先ほどまで小十郎の心のいくらかを占めていた生意気な子供を懲らしめてやろうという気持ちは、打ち合ううちに徐々に消えていっていた。このおのこを一人前にせねばならん、と思った。
もともと面倒見がいい男を気取る気はない。とするとこの考えが芽生えたのは梵天丸の傅役を任されたからなのか、それとも伊達家へ仕えるものの自負か。小十郎は自らの中に芽生えたものを不思議に思いつつもそれに従うことにした。
肩で息をし始めた秀直に対し、小十郎はついに踏み込んだ。
二度、三度。力強い木のぶつかる音が響く。
秀直が後退し、彼の手の中では打ち合った衝撃で木太刀が滑る。
だが小十郎は容赦なく踏み込んだ。
再び三度の打ち合い。
やがて刃身がかみ合って拮抗する――つばぜり合いの形になった。
ギリギリと押される秀直の顔には焦りが見えた。
「ひと旗あげる」
小十郎はあえてそこへ低い声を投げた。
「それはお前にとって、死ぬことか」
「なにを――し、死んで――」
「花実が咲くものか、か? だがお前は、死ぬ」
秀直が小十郎の言葉に衝撃を受けた顔をした。その時わずか拮抗がゆるみ、小十郎はさらに刀を押し出した。秀直の木太刀が離れ、たたらを踏みながら彼は後退する。
小十郎はその間にまっすぐに木太刀を構えた。
「今のままでは、な」
肩で息をする秀直が再び打ち込んできた。それをいなして、小十郎は低く構える。
よろりと傾いだ秀直が体勢を立て直すわずか一瞬、小十郎は踏み込んだ。二歩で間合いに入り、振り下ろす。秀直がそれを防ぐ、防ぐ、防ぐ。
「思慮が足りない、踏み込みが足りない、殺気も足りない」
打ちながら言う。秀直の眼だけが僅か動いた。小十郎の顔を一瞬見た後、余裕なく視線は手元へと戻った。
「テメェは今は蛮勇で死んで名前を挙げることしかできねぇよ、しかもそれが轟くのは一瞬だけだ」
「……!」
「鐘を箸で叩くか、撞木で撞くか――テメェが出来んのは箸程度だ」
言うと、小十郎はぐっと木太刀を体に引き付けた後、今までで一番力を込めて凪ぎ払った。
秀直の木太刀はついに彼の手を離れ、高く高く、円を描くようにして飛んでいく。同時に彼自身もぐらりと均衡を失って再びたたらを踏み、後方へと倒れた。かろうじて肘をつき、頭を打ち付けるのは免れた。
カラン、カラン、と床へ落ちた木太刀が音を立てる。秀直はあわてて倒れたまま身をひねり、そこへ向かおうとする――だが
「終いだ」
その喉首に、小十郎の木太刀の刀身が当てられた。
秀直が恐る恐る、首を小十郎の方へと回す。
「――戦場なら、ここでテメエの首が飛んで終いだ」
ピタリ、と凍ったように秀直は動かない。小十郎は木太刀をすっと引いた。そして切っ先を下に、逆手に持ちかえて脇へぶら下げるようにした。
立会人の声無くとも、勝負あり、である。
敗者に向かって小十郎は声を投げた。それは勝者のものというには幾分説教じみており、いささか耳通りも良かった。
「俺の下につくも、直参になるも、お前の自由だ。だがどちらにしろ、死なねえようにしろ。それがひと旗挙げる、かつ御家の助け――伊達の力になるということだ」
秀直はそこでようやっと動き、床の上に胡坐をかいてじっと小十郎を見上げてきた。しばし再び視線の仕合があり――やがて秀直が首を垂れて小十郎のつま先あたりの床を目を移し、ふたたびの勝負はやはり小十郎が勝った。
小十郎も目をうつした。修練場の入口には野次馬が増えていた。その最前列には秀直の兄二人。ため息をついて、小十郎はそちらへ歩き出した。
標郷が頭を下げつつまず道を開け、野次馬がそれに続いた。そして小十郎が通り過ぎる直前、すっと定郷が退いた。
歳の近い二人の一瞬視線がかち合う。
定郷の目には未だ小十郎を値踏みするような色があったが、先ほどと比べればそれもいくらか和らいでいた。だがそれも定郷は一度の瞬きで隠してしまったようだった。彼は弟に遅れつつも、頭を下げる。
そんな佐藤兄弟の横を通り過ぎ、野次馬の海を抜けたところで
「笛吹き、なかなかやりおるなぁ」
というのが聞こえた。


それから三日。
再び小十郎のもとを佐藤兄弟が訪れていた。今度は三人そろってである。
「秀直から話があるそうで」
切り出したのは定郷だ。
「……なんだ」
低い声でたずねれば、秀直はしばし自分の膝のあたりを見つめた後、小十郎に目を移し、まっすぐに見つめていってきた。
「オレは箸にはなりたくないと思います。オレは撞木になれますか」
「……、どっちかってぇと、鐘の方目指してほしいんだが……」
小十郎は困ったように頭を掻いた。定郷と標郷は苦笑している。
「俺だって人のこと言えた義理でも立場でもねぇが、テメェがまだ山から切り出された木ってわけじゃねぇなら、どうとでも転ぶだろ」
小十郎も所詮は若輩である。箸になりたくはないが撞木になりたい、と木に言われても、己の技量すら定まらぬ木こりではどうしたらいいかわからない。あるいは木こりではなく木地師かもしれない。己がまだ何者であるかわからぬのに、他人にどうあれと説教した己がいまでは恥ずかしい。
「転がすのは自分次第だろ、実際お前は木じゃねぇんだからな」
これまた無責任な言葉だ、と思いつつ、だが己にも言い聞かせるように言えば秀直は考え込むようにした。
しばし、沈黙が満ちる。
ふと、秀直が足を組み替えた。正座し、居住まいを正し、背筋を伸ばす。
「佐藤大学秀直、これより片倉小十郎景綱様にお仕えしたく存じます。先日の非礼と無礼、なにとぞお許しいただきたく思います」
そういうと、秀直は深く深く叩頭した。小十郎はやや面くらって、彼の頭をじっと見つめてしまった。そこへ、声がひとつ。
「この標郷からも何卒お願い申し上げます。弟の無礼は百も承知ですが、お許しいただきたく」
もう一つ頭が深くさげられて、小十郎はさらに困惑した。思わず二人の兄に目をやれば、定郷は背筋を伸ばしてまっすぐ視線を返してきた。
もはやその目に小十郎が自分の主に相応しいかと値踏みする色はない。
「――実はこの定郷、片倉様の力量を怪しんでおりました。若様の傅役、出世頭といえど、後ろ盾少なく、ましてや私より二つばかり年上なだけであるのもその要因です」
「……」
「そのお顔ではやはりお気づきであったかと。しかしながら、長らえてこその伊達の力というお話を聞き、心の底からお仕えしたいと思うようになりました。兵は民であります。民である兵が悪戯に死にゆくならば、国が衰え行くのは必定のことです。片倉様はそれをご存じであらせられる」
「……」
「それをおわかりである主であれば、この定郷、身命をしてお仕えしたいと存じます。が、わたしは末弟以上の無礼を働いたも同じ。お気に召さなければ、そのまま放逐いただければと存じます」
定郷の言う彼の無礼とは、彼の主となる人である小十郎を疑い、怪しみ、値踏みしたことだろう。人によっては、まっすぐ無礼を働いた秀直より心の奥底でそのような疑念を抱いた定郷に不快感を示すかもしれない。
が、小十郎は違った。
「身内には辛口なのがいた方がいい。歳が離れすぎていて唯唯諾諾と従うだけのなら、どこにでもいるだろ。だが俺には今のところ立派な屋敷もなにもない。それに梵天丸様の元服までは城で寝起きするつもりだ。苦労するぞ」
「もとより承知でございます、――殿」
定郷がそう答え、頭を下げた。
殿などと――と小十郎は抵抗しかけたが、三人それぞれの頭のてっぺんを見せつけられて、小十郎はついに頷いた。
「ではこちらからもよろしく頼む」
それから顔をあげるように言うと、定郷の顔は何かを決意したような顔をしており、標郷はほっとしたような顔をしており、秀直は目を輝かせていた。三者三様だが、悪くはない。
四人そろった場が初めてなごんだ。
そしてその和んだ空気に、あ、と標郷が声を挙げた。
「箸と撞木の話、とても興味深いのですが、なんの古典でしょうか?」
興味深そうに、また好奇心いっぱいといった感じで訪ねてきた標郷に小十郎は若干バツが悪くなった。おそらくは彼の興味と好奇心は満たせまい。理由は、以下だ。
「あれは――……姉からの受け売りだ」
標郷と秀直がキョトンとし、定郷は「成程、少納言様」と言って面白そうに笑った。小十郎は遅れて苦笑した。

2012年6月3日初出

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