竜の天命

其の弐

ハナを引く小十郎に従えば、しばらく道は登りになった。やがて登りきれば、視界が開けて眼下に青々とした景色と――城と町が見えた。
「わあ」
蔦が言って小十郎より前に出る。
「なんて見晴らし。ずっと向こうの山まで見えますよ!」
「少し高い所だからな」
視線の先にある山の稜線は青い。随分先まで見えるのだ、と思う。
「……流された跡が見えるな」
言われて小十郎の言った方を見れば、川が氾濫して泥を残したような跡が見えた。
「政宗さまたちと見つけられた子はあそこのあたりの子でしょうか……」
「わからん。だがすでに立て直しが始まっているとも聞く」
「……たくましいですね」
蔦はいいながら、ふたたび辺りを見回した。無事な田も見え、そこは稲が日光を求めるように青々とした葉を伸ばしているようだ。やがてそこから人家が増えていき、城の周りに群がるようになっていく。屋敷はあのあたりかしら、と目をやった所で小十郎の声が耳に入った。
「俺のやってることは、道楽だと思うか」
さわさわと風が木を撫でる音が聞こえる。その中で小十郎の低い声は良く響いた。
「道楽……ですか?」
蔦が解らずに問うと、景色を眺めたまま小十郎は言った。
「今日の事もそうだが、畑もだ。俺のやっているのは百姓がやってるような生き死にに直結するようなもんじゃねえ。それだって昔は、ちょっとは腹の足しになればいい、と思ってやっていた。だが、もうその必要もなくなったし、今では人に任せている部分も多い」
蔦はじいっと小十郎の顔を見つめた。口さがない人が小十郎のことを――ひいてはそれをやりたいようにやらせている蔦をも――批判するのは聞いたことがある。おそらく、それらは夫の耳にも入ったのだろう、と思う。
「大水の件もそうだ。政宗さまは池の水があふれるのを見てすぐに思い至られたが、俺はそうじゃなかった。道楽、真似ごと、と言われても仕方ねぇな」
「……」
蔦は再び景色を見た。眼下を行く川がみえる。ここは高い場所なのだ、と改めて思い、一度蒼穹を見上げた。抜けるように青い。蔦はふたたび、地の方へと視線を戻した。
「それは……小十郎さまがお仕えしているのは政宗さまで、政宗さまがお仕えしているのが、天だから、では」
「……政宗さまがお仕えしている……?」
蔦が不思議なことを言うので、小十郎が首をかしげた。独眼竜は誰の支配下にもないはずだ。少なくともこの奥州では。あるとすれば、お上――京の帝ぐらいだろうが、蔦が言うのとは違う気がする。
「人と言うのは、天の采配で生まれると聞きます。政宗さまは人のもとに仕えるようにお生まれになりませんでしたが、天には仕えているのではないでしょうか――天は民を統べる者をお決めになる。政宗さまは奥州をお纏めになられた。だから政宗さまには天を通して民が見えたのではないでしょうか」
「……」
「小十郎さまは、政宗さまにお仕えになるように天がお決めになりました。だから民の事より、政宗さまのことがよく見えるのではありませんか。こたびの事は――その違いではないでしょうか」
自分でも考えがまとまらないのか、つかえつかえ蔦は言った。小十郎はしばし妻の横顔を見つめ、苦笑した。
「面白いことを考えるな――唐の帝のようだ」
「不敬でしょうか」
「いや、わかりやすい。――だかあまり言い触れるな」
こちらを向いて不安げにする妻に笑いかけて小十郎は言った。
「仕える先が違う、か。なるほど」
「それと、道楽、というのですけれど」
蔦はまっすぐに夫を見て言った。
「私は、違うと思います。小十郎さまは、お鈴ちゃんのおじい様たちに、御足をお与えになっているでしょう?」
「ああ――心ばかりだが」
御足、とは銭のことである。小十郎が直接手を入れている畑は小作人に貸し出しているわけではない。その類の土地は別にある。あくまで小十郎が直接手を入れている畑は、小十郎のものだ――老爺たちには請うて来てもらっているだけに過ぎない。だから、心ばかりの銭を支払っている。その他に蔦が時折差し入れをしているのも知っている。
「百姓にとっても、御足というのは必要なものですが、なかなかそれを直接得る機会がないと聞きます。市に出ても物が売れるとは限りませんし、工芸品ならまだしも作物ではとっておくにも限界があります」
「……」
「だから、皆さまにとって定期的に入る我が家からの御足、というのは大変助かるものだ、……と私は思います。……それに」
「それに?」
促せば、蔦は少し困ったような顔をした。
「片倉さまに目をかけていただいているとわかると問屋が買いたたかない、とお鈴ちゃんの父上や集落の皆さまが言っておりました」
「……成程な」
小十郎は苦く笑った。
蔦はよく老爺たちの所へ出掛けて行く。それが励ましの差し入れや礼の心付けのためだけではないと気付いたのはいつのことだったか。蔦は小十郎が手を借りる集落の人々をよく観察していたのだ。
蔦は町育ちだが、父親の職のせいか妙な所で勘がよく、よく気付く。それと父親から何か聞いているのだろうか、百姓たちの性質も理解しているようだった。横並びにならなければ、弾かれる。出る杭は打たれる――いわゆる村八分という厄介な性質だ。蔦は一度、小十郎が特定の一家を贔屓することに忠告してきたことがある。
――畑を少し広げて、人を雇うのを少し増やしましょう。それに、季節ごとに家々から人手を借りる順序を決めてもらって、持ち回りにしてもらいましょう。
幸い、小十郎が人手を借りている集落はそれほど大きくなく、また隣の集落とも離れていたため蔦の提案は上手くいった。集落にまんべんなく「片倉様の御好意」がいきわたるようになったのだ。それからまた、借りる人手もその家々の主力の若い力ではなく、年寄りを中心にした。
どうしてそんなに気を回すのか、と一度蔦に聞いたことがある。すると蔦は少し遠くを見て言った。
「人の嫉妬というものほど怖いものはございません。私は百姓ではありませんが、女ではありますから、それをよく知っております」
集落内の対立は、やがてそれを引き起こした片倉に向けられるかもしれません。そうなれば一大事――そういう蔦の表情に、小十郎はふと義父の顔を見た気がした。
問屋が買いたたかなくなった、というのも「片倉様」のおかげなのだ。それがどこかに偏れば、恐ろしいことになったかもしれない――小十郎はそれに気付いてまた苦笑した。
「つまり、俺の“道楽”は確かに役立っている、とお前はいうんだな」
「はい。それに、もっと身近なところでは政宗さまや愛姫さまに喜んでいただいているでしょう?」
「違いねぇな」
小十郎は言って蔦に手を伸ばした。
「お前は俺の目の届かない所にいつも気づくな」
すると蔦は頬に添えられた夫の手に触れ、言った。
「それもまた天命の違いかと。私には戦の事や、城中の事はわかりません。政や諸国の事情はもっとわかりません。それは小十郎さまの天命なのです。政宗さまの右目である天命と同じに」
「天命、か」
「はい。私の天命は、小十郎さまがご自分の天命を心置きなく果たされるように妻としての務めを果たすこと――そうだと思っております」
「随分控えめな天命だな。――いや、お前以外には勤まらねぇか」
蔦があまり騒がないので、自分の妻であることの労苦を控えめと見積もった己に小十郎は苦笑した。蔦以外に誰がこの主馬鹿に連れ添ってくれるというのだ――しかも、自分は過去に通常であれば離縁では済まされないことをした。それなのに隣にいてくれている。
ざぁっと風が木々を揺らす音がした。長雨の季節は抜けたのだ。蔦がつられるように空を見上げた。空の風の流れは地上よりも早いのだろうか。雲があっという間に駆けていく。
「雲が行きますね」
「ああ」
しばらく風に吹かれていると、忘れられていたハナがモーウ、と鳴いた。
「……帰るか」
「はい」
小十郎が牛の手綱をひいて方向転換するのと、そちらにいた第三の人物が声をかけてくるのはほぼ同時だった。
「おめえさんたち、何してるだか?」
小十郎がハナの動きを止め、蔦とともに対峙したのは――いつぞやいつきと名乗り、赤子をひきとった少女だった。
「ひゃー立派な牛だなぁ! ……あ、おっちゃん、この間の青いお侍と一緒にいた人でねーか」
「……おっちゃん?! 青いお侍?!」
いつきの言葉に驚愕の声をあげたのは蔦だった。小十郎は蔦をちらとみる。
「俺は確かにおっちゃんだろうが……、小娘、あの方はなぁ」
小十郎が言いかけた所で、いつきがまた声をあげた。
「ひゃー、べっぴんさんだな!」
「え?」
突然言われた蔦が戸惑いを見せた。だがいつきはにこにこと話しかけてくる。
「ねえちゃん、どっかの娘さんだか? おっちゃんとお忍びでどっか行くのか?」
「ねえちゃん……?」
蔦が自分を指さしながら首をかしげた。小十郎はため息をつく。
「……これは俺の女房だ」
するといつきは目を丸くした。それからぴょんとその場でとび跳ねて見せる。
「えー! おっちゃんもう後妻さん貰う歳なのか!」
いつきの言葉に小十郎はさすがに憮然とした。蔦はやや面喰っている。
「俺の女房は後にも先にもコイツだけだ。……それと子持ちとはいえ俺は一応まだ三十路まえだ」
「子持ち?! ねえちゃん子どもいるだか?!」
「え、ええ。いますよ。みっつになる子が」
蔦が指で左衛門の歳を示して言うと、いつきがほーっと声をあげた。
「それにしてはねえちゃん、綺麗だなー。ふつう、子ども産んだら女はあっというまにおばちゃんになっちゃうんだ。やっぱお侍のお嫁さんは違うなー」
蔦はその言葉に苦笑した。
「そうですね、田畑に出ることも普通ありませんし、何かあれば家の者が子どもを見てくれますから、皆様よりはずっと楽です。そのせいかもしれません」
蔦も、結局は百姓ではない。小十郎の畑を手伝うとは言え日がな一日陽にさらされるわけではないし、左衛門をめのとや女中に預けることもある。手ずから子どもを育てる層とは違うのだ。だから蔦の肌は百姓のおかみさんたちよりずっと白いし、腕も体も華奢だ。いつきが「違う」と言ったことはその点からきているのだ。
蔦が言い終えると、とと、といつきが歩み寄ってきた。それから蔦を見上げる。
「それもそだな。でもやっぱり、おらたちの村にこんなべっぴんさんはいねぇだ」
蔦はまた苦笑する。
「城下に来れば、私程度の者はたくさんおりますよ」
するとふるふるといつきは首を振った。そして蔦の手を優しくとる。
「うーんと、そういうこともあるけど、ねえちゃんはとっても優しい顔してるし、働き者って感じだし……、おらはそれが一番のべっぴんさんの条件だと思うんだ。ほら、手も働き者の手だべ!」
いつきは蔦の手をとったまま小十郎を見上げた。
「水を使ってる手だべ! 糠床も自分でかき回してる感じがする。それから子どももよく抱っこしてるんでねぇべか? おらたちのところの庄屋の嫁さんなんかより、ずーっと働き者の手をしてる!」
確かに蔦は小十郎がとってきた野菜をつけてある糠床は人には任せず、自分で毎日手入れをしている。畑に出れば少しだけだが草をとり石を掘り出す。左衛門には常に優しく手が差し出される。それが蔦の手だった。
いつきの評に、めずらしく小十郎が穏やかに微笑んだ。蔦がその表情に驚いていると、いつきがにんまりと笑って
「あたったべ!」
と嬉しそうに言った。それから蔦の手を優しく放して少女はいう。
「働き者で綺麗な嫁さんなんて、おっちゃん幸せ者だなぁ。女の人が、綺麗でいるのはうんと大変なことなんだ」
「大変?」
小十郎が眉を寄せたのに、いつきは首をかしげた。
「あれ、おっちゃん寝る前嫁さんの事見てないだか? 夜、女の人は髪をすいたり、肌にいろいろ塗ったり、手も荒れねぇようにしたり……ともかく、大変なんだべ」
「そう、だった、のか」
小十郎は思わず蔦の方を見やった。蔦の方が自分より遅く床に着くのは当たり前のことなので気にも留めていなかった。翌日の細々とした準備をしたあと、そんなことまでしているのか。
蔦はそんな夫に苦笑するばかりだ。
「たいしたことはしておりませんよ」
「おっちゃんちょっと感謝が足りねぇぞ!」
いつきが腰に手を添えて強くいうと、蔦がさすがに「私の旦那さまですよ」と苦笑交じりにたしなめた。
「そっか、ごめん」
蔦は笑っていつきの髪を撫でた。いつきはくすぐったそうにする。それから蔦は、ふと、つ、と視線をもと来た社の方にやった。
「そういえば……、先ほどお社の前を通ったら、何か中にいるようでしたけど、大丈夫でしょうか」
「なん……!」
いつきが驚いた顔をした。小十郎は眉根を寄せて蔦を見る。蔦は小十郎には知らん顔でいつきに言う。
「ちょっと見に行った方がいいかもしれませんね」
「そっか、この前のお侍の件もあるしな! 行ってくる! ねーちゃんたちありがとな!」
いつきは元気に駆けてく。蔦がそれに手を振った。それから小十郎に向き直る。
「だって、早く気付いてもらった方がいいでしょう?」
「まあ、確かにな」
「いい子ですねぇ、明るくて」
そう言って蔦はいつきの行った方向を見ながら笑う。
「それに、べっぴんさんなんて言われたのは初めてです。――やっぱり嬉しいものですね」
くすくす笑う蔦の頬が僅かに染まっている。蔦の容姿は、政宗がかつて「中の上」と評したようにどちらかといえばよくある顔立ち――あるいは、みる人によってはよく見えるくらいである。政宗の妻愛姫のように異次元の高嶺の花ではなく、そっと手を伸ばせば届きそうな花――それが蔦だった。だから働き者、と褒められることはあっても外見は褒められることは少ないのだろう。
小十郎はそんな蔦に歩み寄り、ひょいと抱き上げた。
「わ」
「疲れただろ」
そう言って、ハナの背に乗せてやる。ハナは米俵三つよりずっと軽い蔦に文句はないようだった。
いつも小十郎を見上げるばかりの蔦が、小十郎を見下ろす珍しい形になる。
「乗ってろ」
「でも」
「いいから」
言って小十郎はハナの手綱をひいて歩き始めた。蔦からは小十郎の背中しか見えない。とっこ、とっことあるくハナは社とは逆方向の来る時来た道を歩いていく。
蔦は髪を押さえていた手拭いをとり、結っていた髪を解いて頭を振った。ふと小十郎が振り返った。蔦の長い黒髪が揺れて風に流される。蔦は思わず髪を抑えた。艶やかな髪に陽光が光のさざ波を作る。流された髪は、さらにその陽光をまき散らす。香るような景色だった。それを肩越しに眺めた後、ふいと小十郎はまた前を向いた。小十郎は蔦が自分にしか見せない表情やしぐさを知っている。それを知っていれば「中の上」なものか――と思う。だが他の男に知らせて回る気はさらさらない。
「――俺はお前の事、三国一だと思っている」
「え?」
「働き者とか、嫁としてだけじゃなく、――そう思っている。お前はいい女だ」
小十郎は蔦に背中を向けたまま言う。蔦はハナに揺られながら、しばし首をかしげ――やがて小十郎の言いたいことに気付いてふんわりと笑った。
「私も、小十郎さまのことを三国一の男前だと思っておりますよ」
その言葉に小十郎が歩みをとめた。ハナが先に行きかけ、止まる。それからモーウと不思議そうにないた。そこは蔦の位置から小十郎を覗きこめる所だった。
「――小十郎さま?」
見れば、わずかに夫の耳が赤い。夫はこちらを見ないので、妻の頬と耳が自分と同じく赤いことには気づかなかった。
「――そうか」
言って再び歩き出した小十郎に蔦を乗せたハナがついていく。
「ええ」
蔦は笑って言った。


屋敷に戻れば、トラを抱えた左衛門に迎えられた。
きちんとおつとめしました! という息子に夫婦は笑って頭を撫でてやった。左衛門は得意になる。途中で買った団子と玩具を「褒美をとらす」と言って渡せば左衛門は喜んだ。
それは長雨が抜けて、風の心地よい日の出来事だった。

(了)

2010年11月7日初出

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