泥中の蓮

其の参


「こちらです!」
数刻後、騒ぎが通報されたらしく役人たちがやって来た。
「おお、これは」
部下に先導された上役が惨状に唖然とする。男が七人ほどひどいけがをして転がっており、家は戸口と屋根の一部がが吹き飛んでおり、中もぐちゃぐちゃであった。
「検断職殿、向こうの倉に女たちが何人も隠されておりました!」
検断職と職の名で呼ばれた上役がすっと目を細くした。
「女衒の隠れ家だったか。町近くにねぐらを作るとは、まさしく木を隠すなら森といったところか」
言いながら、検断職は破壊された家に踏み込んだ。部下があちこちを調べて回っている。
「け、検断職殿」
「うん?」
部下の一人が検断職に話しかけてきた。
「あちらに……青年と少女がひとり。確認していただきたいのですが、もしかしたら」
「……?」
促されるままに進めば、少女を胸に抱きかかえて目をつむり力尽きたように座りこんでいる青年がひとり。抱かれる少女の身なりと姿を見て、上役は目を剥いた。
「うちの娘だ」
「……やっぱりですか」
部下がそういった。上役はそれを仕草で下がらせて、娘を抱く青年を揺さぶった。
揺さぶられて眉をひそめたあと、小十郎が目を開ける。だが視界がどこかぼんやりとして焦点が合わない。声だけがよく聞こえる。
「……私はこの辺りの検断を任されているものだ。通報があってここに参ったのだが、この騒ぎを起こしたのは君かね」
「検断……?」
「見た所、君は女衒の仲間ではないようだが」
それと、と検断を任されているという男は小十郎の腕の中の少女を示した。
「それはうちの娘なのだが……どうしてここに?」
小十郎は腕の中で泣き疲れて眠る少女を見下ろした。そして苦笑する。
「検断職の娘だったのか、どうりで」
小十郎は娘を受け取ろうと腕を広げた父親に少女を渡す。少女は目を覚まさない。
「……俺の喧嘩に巻き込んだ。悪いことをした」
「そうか。……助けてくれたのだね」
「……どうだか。ひどい目にあわせた」
自嘲する青年に娘の父親は
「だが助けてくれたようだね。娘は怪我はしていない。そうか、娘がここのところ手伝いや手習いの間に家を抜け出すと聞いていたが……君に会いに行っていたのか」
と言った。小十郎は俯いて答えない。
「まあ、ともかく、女衒の隠れ家がひとつ潰せた。良いことだ。しかし、いずれにせよ事情を聴かねばならない。名前を教えてくれるかね」
「片倉……小十郎」
「片倉殿、か。わかった」
そこで検断職は部下を呼んだ。小十郎の手当てをするようにと指示をする。
その指示を終えると部下が言った。
「倒れている中に頭目らしきものが見当たりません。いかがしますか」
「わかった。そちらは私が直接指揮を執る。馬と人を出そう。まだそこいらにいるかもしれない。ここは任せた。片倉殿というそうだ。事情を聞いておいてくれ。それと、家に使いを出せるかね。娘をいったん帰さねば」
小十郎はその言葉にほっとしたように息をついて、疲労と痛みのために意識を失った。


検断職の部下による事情聴取には次の一日もまるまる費やした。それから三日ほど開けて、また家族に飽き飽きして小十郎はあの社に向かった。歩けばキシリと胸が痛むが仕方がない。逃げた女衒はまだ捕まっていないが、女衒の仲間たちだけではなく芋づる式にチンピラどももしょっ引かれたというから、大丈夫だろう。女衒も警戒線を張っている町にわざわざ戻ってくるとは思われない。
そう思って、鳥居をくぐると――あの少女が後ろに手をまわして小十郎を待っていた。
「お前、ひとりで――」
来たのか、と言いかけて、少女のすぐ後ろに下男らしき男が控えているのを見て押し黙る。
「……大丈夫か」
やっとのことでそれだけ聞くと、少女はこくりと頷いた。
「あのね、母上と父上がもうここに来ちゃいけませんって」
「だろうな」
父親が検断職だから、少女はきっと女衒と人浚いの恐ろしさをこんこんと諭されたに違いない。少し元気がない、と思う。よくみれば、銃の弾が襲って短くなってしまった髪に合わせるようにいくらか艶やかな黒髪が短くなっていた。小十郎の胸に何とも言えないものがこみあげてくる。
だが少女は胸を張る。
「だから、ね」
少女は後ろに回した手を前に出した。そこには、竹の皮で包まれた握り飯らしいものがのっている。
「これしか、できないから。お礼」
「……礼なんて。巻き込んだのに」
ふるふると少女が首を振る。下男がそっと口を挟んだ。
「お嬢さまを助けていただいたのは事実です」
小十郎はその言葉に戸惑いながら竹の皮の包みを受け取った。
それから空いた手で、少女の頭を撫でる。少女は少しさみしそうに笑った。
「あのね、――それじゃあ、失礼します」
少女が何か言いかけた気がしたが、小十郎は問わなかった。
「ああ。早く行きな」
少女が深く頭を下げると、下男も頭を下げた。やがて少女が歩き出し、下男があたりに気を配りだす。鳥居を抜けていくその姿を見送って、見えなくなると小十郎は包みを見下ろした。
そして社の濡れ縁に座り、それを開ける。少女が小さな手でできるだけ大きく握ろうと努力したとわかる、握り飯が二つ並んでいる。その一つを取り上げて、小十郎は齧りついた。握りが甘い気がするが、塩の加減がいい。
「……いい嫁さんになるな」
握り飯を食みながら、小十郎は一連の出来事を思い返し――優しい少女を巻き込んだことをひどく悔いた。自分がチンピラどもと喧嘩をしなければ出会わなかっただろうが、それがなければ怖い思いもしなかっただろう。
妙な所のある娘だったが、曇天の日、ふと差し込んだ光のような娘だったとも思う。だがそれはあっというまにまた雲間へと隠れてしまった。だが見えなくなった光も、雲の向こうでは明るく輝いている――そう思わせる少女だった。



そしてその翌日、城から小十郎の姉、喜多が一時実家に戻って来た。
兄嫁と姉の一時無言のメンチの切り合いがあったが、勝ったのは姉の喜多であった。だが姉が戻ってきたのは兄嫁にたいして小姑らしく苦言を呈するためではなかった。
「お前、騒ぎを起こしたそうですね」
居住まいを正し背筋を伸ばして姉の前に座っていた小十郎は深く姉に頭を下げた。
喜多はため息をつく。
「後家の所に転がりこんだり、喧嘩まではまぁ見逃してあげましたけれど――今度ばかりは。人様の娘さんを巻き込んだとか。それも子どもを」
「反論のしようもございません」
深く頭を垂れる弟に喜多はおや、と眉を寄せた。
「口の利き方が少し変わったわね。反省、しているのですね」
「――……」
小十郎はすっと体を起こした。きちんと作った拳を腿の上に置く。
「この小十郎、心を入れ替え、稽古にも何事にも身を入れようと思っている所存」
喜多が目を見開いた。
「兵法以外の書にも目を通します。しかし、兵法にて学んだことは、以降、戦場以外では――決して使いません」
「お前、何かあったのですか」
「……泥中に蓮を見た、と言いましょうか」
その言い方に、喜多はしばしきょとんとした。しかしすぐに真面目な顔になる。
「では今度はお前が泥中の蓮にお成りなさい。――実は、お前に城に仕えないかという話があるのです」
「――!」
小十郎は驚いて姉を見つめた。喜多は複雑そうな顔をする。
「勢いで女衒のねぐらをひとつ潰したのがどう伝わったのか――殿が天晴な弟ではないか、城に仕えさせよ、と」
「――本当ですか」
「ええ。それと、お前、雷神を招聘できるそうですね。殿がそれを聞いて、さらに興味を持たれて。アレを扱えるのは真の武人のみ、と」
喜多はそこでじっと弟を観察した。
「本当に心を入れ替えると言うなら、この話、お受けしなさい。片倉には二度とない好機ですよ」
「心得ております。――姉上、小十郎に二言はありません」
言うと、喜多はにっこりした。



さて、その六年後――
大町の検断職にある矢内重定は頭を抱えていた。
16になった娘の見合い話がことごとく上手くいかないのだ。
親のひいき目を差し引いても、娘は働き者だし、容姿だって悪くはない。しかし、ことごとく先方から断られるのだ。なぜかはよくわからない。少し面白みがない所がだめなのか、と思うがそれを補って余りある美点が娘にはある――はずである。
執務の間で頭をかく矢内重定に声がかかった。
「矢内殿」
「うん?」
振り返れば同僚が神妙な顔をしている。
「あの、殿から――すぐに城に上がるようにと」
「え。……御用向きは」
「それがさっぱり」
何か仕事でへまをしただろうか、と重定は考えるがサッパリわからない。とりあえず自分の恰好が一国の主の前に出ても失礼にあたらないことを確認すると、重定はあわてて登城した。
謁見の間に通されて、国主伊達輝宗の前でひれ伏す。
「矢内和泉重定」
「はい」
「顔をあげよ」
言われて顔をあげれば、輝宗はにこにこと笑っている。その裏のない笑顔に、仕事上のことではない、と重定は本能的に確信した。
「そなたの娘、縁談が決まらぬそうだな」
「殿のお耳にまで。なんということ。まったくもって、恥ずかしいことですが……」
「確か16と言ったな」
「はい」
輝宗はそこで扇を取り出して、それを弄び始めた。その顔がにこにこから、にやにやというものへと移り変わっていく。
「見所のある男がいるのだが、そなたの娘と見合いさせてくれんか。釣書はほれ、この通り」
輝宗直々に釣書を差し出されて、重定は慌てて膝で進んでそれを受け取った。
「少し前まで暴れ者だったが、なかなかに忠義者でな。先ごろまで政宗の傅役をしておった。今後はそのまま政宗に近侍することになる」
輝宗の言葉を聞きながら重定は釣書を眺めていた。
「片倉……小十郎?」
「そう、諱は景綱というが、皆小十郎と呼ぶな。歳は21だ。どうだ、釣り合いがいいだろう?」
重定は釣書に目を落としたまま動かない。
「どうした、重定」
輝宗が不思議に思って問えば、重定は笑い顔で国主を見た。
「いやはや、片倉殿。そうですか。縁は異なもの味なもの、とよく言ったもので」
「うん? ――どういうことだ」
つい笑いだしてしまった重定は、六年前の出来事を輝宗に話して聞かせた。すると輝宗はまずきょとんとした後――愉快そうに笑いだした。
重定が話して聞かせたのは、小十郎が女衒のねぐらを壊したときのことである。あの場に、重定は部下とともにいたのだ。沙汰を下すものとして。検断職殿、と言われていたあの人物は重定本人であった。そしてその娘も、そこにいた。
「そうか。小十郎とそなたの娘、すでに縁があったか。しかも小十郎は娘に命を張ったとな。これは縁でしかあるまい!」
輝宗は扇で膝を叩いて喜んだ。
「では、この話小十郎にも通すぞ」
「はい、ありがたき幸せ。しかし片倉殿が覚えておられるかどうか。娘に後で聞いたところ、名前を知らぬと言っておりましたから。それに、私もあの当時の片倉殿を見て、毒にしかなるまいと思って娘には彼の名前は伝えておりません」
「よいよい。その方が面白い――して、そなたの娘の名前は何と言ったかな」
「蔦、と申します」



少女は六年の間に、それなりに美しく育った。働き者で優しい性分はそのままに。六年の月日は少女を女へと変えてしまったために、小十郎は蔦があの少女とは気付かなかった。
また蔦の方も、かつて自分のことを助けてくれたぶっきらぼうな青年のことはきちんと覚えていたが、それは立身出世した真面目な片倉小十郎景綱と結びつきにくく、またやがて蔦は小十郎を恋い慕うようになったので、かつての青年の姿はゆっくりとぼやけていった。だがそのぼやけた姿が、時折小十郎と重なり、蔦は首をかしげることになる。
その後、箪笥の奥にしまいこまれて忘れられたらしい端のほつれた藍染に白抜きの猫の模様がある手拭いを見つけて、かつての少女である妻が夫と青年が同じ人だと気付き、それを夫に告げたかどうかは――夫婦以外に、誰も知らない話である。

(了)

2010年10月9日初出
2010年10月10日改訂

Back  Text  Home