姫と妻

其の参


さらにそれから数日をあけて。蔦は呼ばれてもいないのに登城し、政宗様の奥方様にご用があります、と言った。出てきた侍女は田村の者ではなかったが、喜多でもなく、最近愛姫のために新しく雇われた者だった。まだ色のついていない、慣れない様子のある若い女に蔦はほっとする。
部屋に通されれば、めずらしく迎えに出てきた侍女ような愛姫と年の近い侍女たちばかりが集まっていた。心なしか、愛姫も気負うことなくあるように見える。
「蔦、もう二度と来ていただけないかと思っていました!」
お目付け役がいないからか、愛姫はすぐに駆け寄ってくる。伏して挨拶をする前に駆け寄られてしまい、蔦は会釈するしかない。
「二度と来ないなどと。蔦めと姫様は仲良くなるのではありませんでしたか?」
言えば、そうでしたねと愛姫は笑う。
「町の店で桃と梅と桜をあしらった簪を見つけましたので、姫様にと。とても若君が贈られるような上品なものではございませんが」
淡い桃色を基調にした細かい細工の簪は、むしろ姫君が見たことのない部類のものだったらしい。可愛いです、とつぶやいて、愛姫は蔦にすぐにつけてくださいと甘えてみせる。
「失礼いたしまする」
と包帯の巻かれた右手で簪を握れば少し愛の顔が曇った。蔦は気にせず、長く垂れたままの愛姫の髪を手早く、しかしきれいに結い上げて簪一本で止めてみせる。その手際の良さにわっと若い侍女たちが歓声を上げた。
「似合う?」
愛姫が聞けば、侍女たちは楽しげに頷く。蔦も頷いてみせると、愛姫は照れたように笑った。
「姫様、少しお散歩をいたしませんか」
蔦が言えば、こくりと愛姫が頷いた。



少し歩いた後、小さな池のほとりに来て、蔦は手近な岩に手ぬぐいをしいて愛姫を座らせた。自分もその隣に腰掛ける。
「なんだか今日はのんびりしています」
「左様ですか」
愛姫が池を眺めて言えば、蔦は空を見上げていった。
「蔦、ありがとう。……、それから、ごめんなさい。手はもう大丈夫? わたくしが受け取っていれば」
気遣わしげに顔を向けて言う姫に、蔦は首を振る。
「姫様のせいではございません。それに、ひとつ良いことがございます。毎晩、小十郎さまが私めの手を洗って、油を塗って、包帯を取り替えてくださるのです」
「まあ、小十郎どのが?」
愛姫は目を見開く。甲斐甲斐しい小十郎を想像できなかったのだろうか、と蔦は思って笑う。
「はい。それはそれは優しくしていただいておりますよ。おかげで、すぐに良くなりそうです。でも治ったら、小十郎さまにお世話をしていただけなくなるので、ちょっぴり寂しい気もいたします」
家事ができない苦痛については述べずに、だが本心を言えば愛姫はほっとしたような顔をした。
「怪我をさせてしまったのに、簪までいただいてしまいました。愛はいったいどうすればいいのでしょう」
「では、なんでもご相談くださいませ」
愛姫の言葉に蔦が言えば、姫たる少女は穴が空くほど夫の家臣の妻を見つめた。
「小十郎さまは、政宗様の右目と呼ばれている、とか。蔦も政宗様と小十郎さまのように愛姫さまと仲良くなれればうれしゅうございます。至らないではありますが、従姉とでもお思いいただければ本当に」
いえばふるふると愛姫は首を振った。否、ということかと感じて蔦が落胆すると、愛姫は慌てた。
「あの、従姉ではなく、お姉さまと思ってはいけませんか?」
「まあ……」
蔦が思っていたこと以上の申し出に驚いていると、愛姫はつづけた。
「喜多は、どちらかというとお母さまみたいですし、蔦のような姉上がいらっしゃれば愛はうれしく思います。蔦も喜多が蔦にするように、愛を可愛がってくれれば嬉しいです」
喜多が蔦にするように、と言われてちょっと考えてしまった蔦ではあるが、すぐに真意を察して微笑む。
「はい――でも、他の方に知れてしまっては叱られますから、姉妹のお話は二人だけの秘密ですよ」
「はい!」
愛姫はめずらしく年相応に元気よく答えた。蔦が笑うと、そこへさくさくと砂利を踏む音が二つ。
「おい愛、何やってんだ。あ、蔦じゃねえか。久しぶりだな」
「まあ、政宗様私たちの祝言以来かと」
見れば、政宗がぶらぶらとこちらにやってくるところだった。背が伸びていらっしゃる、と思って蔦は驚く。その後ろには小十郎がつき従っている。小十郎がここにあるはずのない妻の姿に驚いている。
「なにやってるんだ」
「可愛らしい簪を見つけたので、姫様にと」
蔦が言えば、政宗が愛の髪型が常と違うことに気づいた。
「Hmm, ……可愛いじゃねえか、そういうの」
政宗に――ややぶっきらぼうに――言われて、愛は真っ赤になる。髪型のせいでいつもは見えないうなじまで淡く染まっているのを見て、蔦は微笑む。微笑んだまま無意識に目を小十郎に移せば、夫も似たような表情をしている。夫は珍しく微笑んだまま妻の傍らにくると左手を差し出した。
「あまり長居をしてもご無礼かと。姉上に見つからないうちに連れて帰ります」
「Oh,小十郎、お前にしちゃ珍しく気の利く、いや、連れて帰るなんて珍しいな」
「何をおっしゃいます。蔦はこの小十郎の嫁にございます。連れて帰るのは当たり前かと」
「No,そうじゃなくてな」
政宗が言いかけたところで、ザザッと砂利を蹴る音がした。見れば、田村の侍女頭だというとよがこちらに駆けてくる。
「とよ」
愛姫が言えば、政宗は黙って背中に彼女をかばうように動いた。
「姫様、何をなさっておいでですか」
「なんだよ、愛と俺が散歩しちゃ悪いのかよ」
政宗が憮然として言えば、とよはギっとそれを睨みつけただけで――主の夫に対するその態度に小十郎と蔦はさすがに驚いた――それ以上何も言わなかった。が、愛の髪型が先刻までと変わっていることに気づくとまた口を開く。
「なんということ、そのように町娘のような――!」
「Shut up! わかんねぇヤツだな。無粋だぞ」
政宗が嫡男らしくそう言うと、とよは口をぱくぱくさせた。そして、ようやっと気づいたように小十郎と蔦に目を向ける。そして蔦を見据えて何か言おうとぱくぱくを収めようとした。
その途端ギロ、と音がしそうな勢いで小十郎がとよを睨みつける。するととよはひっと声を上げてもと来た道を戻っていった。
「どうしましょう、怒らせてしまいました」
「気にすんな。おまえのせいじゃねぇ。つーか小十郎のおかげで怒りも忘れただろ。
……、万が一なんかあったら喜多に言え、俺が何とかしてやる」
少し怯えを見せた愛に政宗が男気を見せ、蔦と小十郎が微笑んだ。
「お二人なら、大丈夫ですね」
蔦がそっと耳打ちすれば、小十郎は
「ああ」
と短く答えた。そして小十郎は改まる。
「では、政宗様、今日は妻もおりますので、これにて」
「おう」
政宗が答えると、小十郎は蔦の手を取ったまま歩きだした。慌てて蔦が、手を、というと、砂利がアブねぇ、と小十郎が言う。
それを見ながら、政宗はあきれて見せた。
「Ah, 怪我してんのは手だろうが。足じゃねえから砂利は関係ねぇ」
一人ごちる政宗の袖を引く者があった。愛だ。
「?」
「あの」
愛はもじもじとしてみせる。
「What?」
南蛮語の疑問詞を愛は解さないだろうが、ちゃんと答えて見せた。
「愛も、政宗さまと手を繋ぎたく思います」
真っ赤になりながら言った幼な妻に一瞬遅れて、ませた夫がぼんっと赤くなる。
「しゃ、しゃーねーなー。そこまでだぞ」
言って差し出された育ちきらない少年の手を、嬉しげに少女は握った。



そのさらに数日後、小十郎を送り出した後に蔦はするりと包帯をとって、右手を開いては閉じ、閉じては開いてをしてみた。ひきつれる感じも痛みもない。痕はまだあるが、動きに支障はない。
「よし」
短く自分にそう言って、さっと立ち上がる。右手がなまっている気がして、蔦はいつもの倍働いた。その夜。
「おい、手を出せ」
寝所で小十郎がどっかりと胡坐をかいて言うので、蔦は首をかしげた。夫は帰ってきてすぐ「包帯、とれたのか」と言ったのである。
「火傷ならもう良くなっておりますよ」
そう言っても夫は
「いいから、出せ」
と言うばかりである。その勢いにのまれてそっと手を差し出せば、小十郎は自分の後ろから何やら取り出した。漆塗りの小さな丸い容器である。かぱりと小十郎が大きな手でふたを開けると、なにやら白い軟膏が見えた。小十郎はそれを左の指でいくらかとると、差し出された蔦の手首を右手で握って、すっとそれを塗り始めた。
「ひゃ」
するりとした馬の油と異なる感覚に、蔦が思わず声をあげると小十郎は笑った。
「なんです?」
匂いも油よりずっとさっぱりとしている。するするとのびてゆく軟膏に蔦は首をかしげる。
その間も小十郎は手の甲だけに飽き足らず、手首、指の間と蔦の手を撫でていく。むず痒くなって身を引こうとしても、手首をつかまれているのでどうにもならない。
「大人しくしてろ。……城の女中に聞いたんだ」
「え?」
「手荒れにいいものものがないかと。椿油が練りこんであるそうだ」
見れば、漆の器の蓋には椿の意匠がしてある。これを小十郎がこれを買い求めたのだろうか、と想像して蔦はなんだか笑いを誘われた。
「何笑ってやがる。おら、左手も出せ」
笑いに口元を押さえた左手がさらわれる。蔦はしばらくくすくすと笑い、小十郎は憮然としたまま妻の手に手荒れに効くという軟膏を塗っていたが、その後、小十郎の手がすりつける軟膏もなくなったというのに蔦の肘から上へとゆっくりと、だが熱を持って滑っていったのは言うまでもない。



(了)

2010年9月12日初出

Back  Home  Text