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氷解
其の四
「おおお?! 片倉様、と蔦様!」
「おう」
子どもを抱いて現れた小十郎に、鍛錬所にいた男たちは固まった。蔦は物珍しそうにあたりを見回している。それから目当ての姿を見つけ出す。
「良直さん、左馬助さん、孫兵衛さん、文七郎さん」
呼ばれた四人がすっ飛んでくる。
「蔦様、お元気そうで!」
「その節は御面倒と御心配をおかけしまして」
深々と頭を下げる片倉小十郎の妻に部下たちは慌てた。
「いいっす! そんなのいいっす! 蔦様がお元気なら全然問題ないッス!」
「左衛門どのも元気そうだねぇ」
小十郎に抱かれた赤子に一同はほっと胸をなでおろしたようだ。あたりに集まって来た男たちに蔦は再度頭を下げる。
「皆様本当に――ありがとうございました。もうしわけありません」
「……、俺からも、礼を言う。そしてすまなかった」
夫婦そろって頭を下げて言えば部下たちは恐縮し一斉に頭を横に振った。
そのガラの悪い男たちが首を振る光景が面白かったのか、左衛門はにこにこと笑い始めた。
その様子にほーっと一同が声をあげる。
「片倉様には似てねぇな」
ぼそりと誰かが言った一言が意外に響いて、男たちがギョッと身をすくめた。左衛門はもちろんわかるわけがなく、指をしゃぶっている。小十郎はあたりを見回してため息をつき、蔦はまたくすくすと笑った。
「でも御機嫌が悪くなると口のあたりがそっくりになりますよ。怒ると今度は目もそっくりで」
まったくさっぱり良い例ではない父と息子の証明を言ってのけた蔦に、単純な男たちは「おお」、と声をあげた。小十郎は思わず
「お前ら……」
と肩を落として蔦を恨みがましく見やった。蔦は首をかしげて見せる。
「だって本当ですもの」
「あのなぁ」
あーう! と左衛門が父と母を仲裁するように言うと、男たちは笑いだした。
それから良直たちが近づいてきて左衛門を触ろうとした。小十郎はひょいとそれを避ける。
「お前ら、手は綺麗なんだろうな」
「あ」
だが部下たちはごしごしと腿に手をこすりつけるだけで小十郎は頭を抱えたくなった。その時、不意に縦抱きにされた左衛門が手を伸ばした。そしてむんずと近くにいた良直の珍妙に前方に盛られた前髪の一部をつかんだ。
「あ」
と片倉夫婦が声をあげた。そしていつも良直とつるんでいる残り三人が固まる。良直本人は一瞬反応が遅れた。
「あ、イテテテテテ! だめだって! ひっぱっちゃ! 優しく! 優しくして!」
「きゃーぁ!」
引っ張られたのか良直が悲鳴を上げ始めた。左衛門はその様子が面白かったのか、それともそもそもその変な髪がそれ自体が面白いのかきゃっきゃっと喜んでいる。
「伊達軍の七大禁忌に軽々と触れやがったぜ……!」
「さすが片倉の坊っちゃん……!」
「恐ろしい……!竜の右目の息子は鬼だった……!」
左馬助と孫兵衛と文七郎がそれぞれ感想を述べる中、小十郎はどうしていいやらわからず、蔦は「左衛門!」と言ってその手を離させようとしていた。が、気に入ってしまったのか左衛門はしばし良直の前髪を乱して遊んでいた。
鍛錬所に笑い声が響いたのは言うまでもない。
帰りも蔦と左衛門を駕籠に乗せる。小十郎はまだ左衛門を抱いたままだったが、蔦が腰を落ち着けると屈んで息子を渡す。左衛門は色々ありすぎて疲れたのかすでにうとうととしている。
蔦が左衛門を受け取り、ひどく優しい顔で赤子の頬を撫でるのを見た小十郎はそっと言った。
「蔦」
「はい?」
「……ありがとう」
すると、蔦はきょとんとした。小十郎は少し苦笑する。そして真面目な顔になると言った。
「姉上のことも……何もかも全て。廊下で左衛門を俺に渡したのも……考えがあってのことだろう?」
言外に、突き刺さる好意的ではない視線に気づいていたのだな、と伝える。すると蔦は首を横に振った。
「腕が疲れていたのは本当です。皆様を笑顔にしたのは左衛門ですよ」
名を呼ばれて、赤子が一瞬めをぱちくりさせたがすぐにとろんとした目に戻ってしまう。
「義姉上を笑わせたのも左衛門。政宗様と愛姫様、成実殿に綱元殿、それから皆様。優しい顔にさせたのはみな、左衛門です」
如才なく言う妻に小十郎は目を見開く。それから、蔦の頬を優しく両手で包んだ。
「それでも、俺はお前に礼が言いたい。そんな左衛門を産んだのはお前だ」
「左衛門の父は、小十郎さまですよ」
蔦は微笑んで言う。小十郎の胸になんとも言えないものが広がって、言葉に詰まった。
「――蔦」
「小十郎さま。小十郎さまはずっと蔦の旦那さまで居てくださいませ」
小十郎はもはや何も言えなくなって、ただただ蔦の額に己の額を優しく合わせた。蔦が額を猫のように擦り合わせてきて、小十郎は改めてその暖かさを思い知った。
その夜。左衛門がぐっすりと眠りこんでいる間に、小十郎は蔦に湯あみをするように言った。今日一日で疲れたであろう妻を休ませたかった。蔦は夫より先に湯を使うことに少し戸惑ったようだが、小十郎が重ねて言うと従ってくれた。居間に書見台を持ち込んで、眠る左衛門の傍らでしばらく過ごす。やがて左衛門が目覚める気配と――同時にぐずりだす気配がした。
小十郎は書から目を離し、息子に目を移す。その間に、左衛門は泣きだしていた。
大粒の涙を流して手足を精いっぱい伸ばして泣く我が子に小十郎は戸惑った。
「おしめか、腹が減ったか?」
だが調べてみてもその様子はない。母恋しか、と思えば違うような気もする。
「どれ、お前も疲れたのか?」
小十郎はひょいと小さな布団の上から息子を抱きあげた。あんあんと泣く息子の泣き声はどこか疲れを感じさせるように聞こえる。
「よしよし……ちょっと無理させちまったか」
政宗に愛姫、成実に綱元、それと喜多まではよかったが、城仕えのものたちにも抱かれたし、鍛錬所では男どもに囲まれた。あのときは度胸を見せるようにきゃっきゃっと笑っていることが多かったが、それでも左衛門は赤子である。夢で何か見たのかもしれないと心配になる。
あんあんと泣く息子に、小十郎は重定や白髭の老爺を思い出して体をゆすぶった。
「どーれどれ」
なるべく優しい声を出す。慣れない大きな手に抱かれて左衛門は一時泣き声をより大きくした。引きつけを起こさないように落ち着かせようと肩に寄りかからせて背中をたたく。このごろは蔦がよくそうしているのだ。やがて泣き声はひっくひっくというものに変わってく。トン、トン、トン、という背中をたたく一定の間隔に落ち着きを取り戻したのだろう。
落ち着いてきた息子の顔を見ようとひょいと横抱きにすれば、涙と鼻水とでぐちゃぐちゃである。それでも泣き叫ぶよりはずっとよくなっている。小十郎は懐紙を取り出して、それをぬぐってやる。紙の感覚が嫌だったのか左衛門が父の手をつかんだ。
「ああ、こういうときは手拭いか」
それから左衛門の布団の横にあった手拭いを取り上げて顔を綺麗にしてやる。
すると左衛門も落ち着いたのか、ぐすぐすと鼻を鳴らしてはいるものの泣きやんだ。
小十郎が思わずほっとして笑いかけると、つられるように左衛門があーと言って涙の跡をつけたまま笑いを返してきた。蔦や家人、他の人に対して笑うのは良く見るが、自分に笑い返されたのは初めてで小十郎は驚いた。
父が驚いている間に左衛門は手をのばして小十郎の左頬の傷をぺちぺちと叩いた。左衛門の昼間の政宗と髭の老爺への反応を思い出して、小十郎は息子に語りかける。
「お前、人の顔に少し違うものがあると気になるのか」
「うー? う!」
返事をされたようで、小十郎は声を立てて笑った。
「お風呂お先にいただきました――あら」
そこへさっぱりした表情の蔦が戻って来た。小十郎は左衛門を抱いたままそちらを見た。
「おう」
蔦が入口に立ちつくして、こちらを見ている。
「……、なんだ?」
「いえ、小十郎さまがご自分で左衛門を抱きあげたのは、はじめてではないかと思いまして」
驚いてはいるが優しい顔で蔦はそう言った。言われて、小十郎は初めて気付いた。
「ああ――そうだな」
小十郎が息子を抱いたのはまだ数が少ない。しかもそれは主に蔦から、あるいは人から手渡されたときばかりだ。自分で床から抱きあげたのは初めてだ。気付いて、小十郎は自分でも驚いた。
蔦がそっと左衛門を抱く小十郎の傍らに座った。湯上りで淡く染まった頬が美しい。
「あら左衛門――父上にあやしてもらったの?」
さすがは母である。泣きやんだというのにすぐに先ほどまでの様子に気づいていた。左衛門は目をぱちぱちさせる。
「まぁ、すっかりお目覚めね。それじゃあ父上にお風呂に入れていただく?」
蔦が言うと「あーう!」と左衛門が言った。
「風呂って……入れたことないぞ」
戸惑って小十郎が言うと、蔦は夫を見た。
「お手伝いいたします。少しまたぐずるかもしれませんが、お湯は好きなようなので大丈夫ですよ」
「そうか?」
「はい、お湯をぱちゃぱちゃ言わせますよ。とってもかわいいです」
蔦は勇気づけるように小十郎に笑いかけた。その笑みに覚悟を決めた小十郎はやや緊張の面持ちで立ち上がり、居間を出た。蔦もついていく。
――しばらく後、慣れぬことをしてすっかり疲れた小十郎と、慣れぬ父の手つきにこれまた疲れた左衛門は水気をふき取り寝間着姿になって並んで横になると、すぐに眠りに落ちた。
妻であり母である蔦はその寝顔が――父子なのであたりまえだが――妙に似ていることに笑みを誘われて、飽くことなくいつまでもその寝顔を見つめていた。
さらに数ヵ月後、雪が解け、左衛門がうつ伏せから自力で頭をあげたり、抱かれたままとび跳ねたりできるようになった頃――伊達政宗は戦を再開した。
「羽州のgentlemanがヤケに腹の立つletterをよこしたぜ」
母方の伯父からの挑発ともとれる書状を契機に政宗は奮起し、目標を新たにした。弔い合戦は終わった。これからは政宗は己がために戦うのだ――小十郎は若い主に満足する。
「この小十郎が何処までも共に」
「Ha! 左衛門がテメェの顔忘れる前にまずは奥州だ――その後天下へ打って出る。
小十郎、俺の背中は任せたぞ」
「は!」
政宗はそこで馬に飛び乗った。馬上で腕を組んで辺りを左目だけで鋭く睥睨する。
見渡す限り、あたりを埋めるのは青い装束を着た男どもと馬だ。
「Are you ready guys!」
政宗があらん限り声で叫ぶと、地響きのような応えが起った。
「Partyの始まりだ! 一気に天下までついて来れる奴だけついてこい! 振り落とされるなよ!」
政宗の馬が後足で立ち上がり、嘶きをあげた。そのまま走り始めた政宗の後に、小十郎が続き、そのまま一群が続いていく――ようやく渇き始めた地面から砂埃が上がった。
独眼竜、伊達政宗の名が奥州筆頭として日の本に響き渡るのは、それから間もなくのことである。その独眼竜の背には「彼の者もまた竜」と言われる竜の右目と綽名される男が常にいることもまた、自明であった。
(了)
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