and I love...

其の参


小十郎は制止する厩番を振り切り、鞍も鐙も付けず轡と手綱だけの馬に飛び乗り、自らの屋敷を目指した。門が見える所まで来ると、家中の者が総出で蔦の名を呼んでいる。
ここにはもういない、と判断して小十郎は轡を回した。
――どこだ。
辺りには雪が舞い始めている。小十郎は必死に頭を巡らせた。
「はっ!」
そして考え至るより早く馬の腹を蹴る。
あそこしかない。



――屋敷通りを抜け、小川の橋を渡り、辻の地蔵の横を駆ける。思いつくのは、畑だ。
よく蔦も手伝ってくれた。豊作の年も不作の年も、蔦はいつも笑ってくれる。小十郎さまにお応えできるように、腕を振るいますね、と。出来が悪いものであるとより奮起して腕が鳴ります、と言ったものだ。
だが今はそこは雪に埋もれている。小十郎は手綱を引き、馬を止め雪舞う中目を凝らした。
人の姿はない。
「蔦!」
叫んでも馬がぴくりと耳を動かすばかり。
「どこへ……」
焦って見渡せば、降る雪の影を人と取り違えそうになる。手綱を握る手や額にひらひらと雪が落ちるが、すぐさま溶けるだけで留まることはない。むしろ額には汗があふれ出てくる。
そんな小十郎の目に、畑の脇の水路が目に入った。しばらく先の田に水を引くためのものだ。さきほど越えた小川から水をひいている。
小十郎ははっとした。
「小川の先に川が……!」
小川はいずれ大きな流れと合流する。気付いて小十郎は馬の腹を蹴った。



馬を川に沿わせながら小十郎は目を凝らす。雪が吹雪いてきた。一刻の猶予も許されない。冷えれば子は流れ、蔦が危ない。もうここ以外を探している余裕はない。ここであってくれ、と小十郎はただ願う。
しばらくして、小十郎は川面に一つ黒いものを見つけ出した。
「蔦!」
応えはない。だが近づけば、長い黒髪が妻だとわかる。
蔦は殆ど肩まで川に身を漬けていた。小十郎は馬から飛び降りて迷うことなくざばりと水に入った。
「馬鹿が! 何をしてる!」
ぐいとこちらを向かせれば、蔦は胸の前で手を合わせなにやら一心に唱えている。目はうつろで、肌の色は失われ、唇は青い。体は小刻みに震え、塗れぼそった黒髪が頬にへばり付いている。
「蔦!」
小十郎が呼ぶと、蔦はこちらに目を向けたが、それも一瞬のことで、ぐらりと細い体が傾いだ。ふつ、と何やら唱えていた蔦の声が途切れれ、ざぶ、と細い半身が流されそうになる。小十郎は慌てて蔦を抱き上げ、岸に戻るため身を返した。水の冷たさは感じない。戦場でも感じたことのないものが深い部分から湧き上がって小十郎を焦らせた。抱えた蔦はぐったりとして動かない。これまで感じたことのない妻の重みに焦りが増す。途中幾度か流れや川底の石に足がもつれた。それでもなんとか岸に着けば、異変を察したのか馬が近寄ってきた。
「居たぞ!」
遠くで声がして、小十郎は我に返る。全身を濡らす蔦を拭き温めなければならない。横抱きにした蔦を川原におろしかけ、ふと膝裏に回した腕に暖かいものを感じて小十郎はそこを見た。
水ではなく、人の体を巡る赤い川。それが蔦から流れ出ている。そしてそれは、べっとりと小十郎の腕にまとわりつき、ぽたりと雪の上に鮮やかな赤い点を落とした。
――子が流れる。
血の川と一緒に。
――蔦が死ぬ。
小十郎は、生きてきて終ぞ感じたことのない恐怖が沸き起こってくるのを感じた。



そこから何がどうしたのかよく覚えていない。伴われて屋敷に戻ったのか。屋敷に着けば女中たちがさらうように蔦を奪い、小十郎は着替えと手拭いを投げつけられた。着替えて蔦のもとに行けば、お医者様がいらっしゃる、と部屋には入れてもらえなかった。
まんじりと時を過ごしていると、下男がやって来て文を差し出した。
『片倉小十郎景綱さま』
いつか見たのと同じ蔦の柔らかい丸みを帯びた文字が見える。
下男が下がって文を開ければ、小十郎がどこかで覚悟していた恨み言はひとつもない。ただ、野菜のこととか、出会ったときのことが記してある。そして最後にこうあった。
『小十郎さまに子殺しはさせられませぬ』
深い所まで読まれていたのだと知り、小十郎は文を握りしめた。
そこへ、女中がやってきた。医者の処置が終わったのかと腰を上げかけると、お舅さまがお出でです、と言った。
力なく客間にたどり着けば、蔦の父である矢内重定が別な文を手に待っていた。
「……」
「……片倉殿」
言葉なく小十郎は跪いて床へ額を擦り付けた。
「蔦から文があり、急いで参った次第」
す、と重定が頭を上げない小十郎に己の文を差し出した。僅かに身を起こした小十郎が躊躇っていると重定が仕草で開くよう促した。
……そこには、両親に先立つ不幸を詫びる言葉と、自分が勝手にしたことだから小十郎を恨まないでほしいことが記してあった。
……だが小十郎の目を奪ったのは次の一文だった。
『鬼子母神ですら子どもを隠されて泣いたのに、子を道連れにする私は一体何なのでしょうね』
「……蔦」
ぽつりと呼べば、重定が言った。
「うらむなと、娘はそう申しておりますが、お怨み申し上げる」
「……矢内殿」
しばらく、二人は無言で対峙した。そして、動いたのは重定だった。立ち上がった重定に小十郎は腰を浮かせる。
「蔦にお会いに」
「今は辛くてできませぬ。……何かあれば一番に使いを」
重定はそれだけ言って小十郎に背を向けた。小十郎はよろよろと座りこんだ。それからしばらく小十郎が客間で床を見つめていると
「おい、小十郎」
と声がかけられた。振り仰げば、政宗がいた。
「政宗様。……気付きませんで、ご無礼を」
「気にしちゃいねえ。矢内のおっさんも俺に気づかなかったな。怒鳴られでもしたか」
「……、いいえ」
見れば、政宗は雪除けを羽織っている。肩やあちこちが塗れており、結構な時間外で雪に晒されていたことをうかがわせる。
そんな政宗は懐からなにやら取り出した。それは木で出来ていて、ごわごわしていて、染料で染めてある。高い位置から差し出されたソレを小十郎は力なく見やった。
それは子どもでも握りしめられるほどの一本の木の枝を削って作る、この地方に伝わる一刀彫の工芸品だ。くるくると器用に渦を巻きつつ幾重にも削られた木は、ひとつとして削ぎ落されることなく、先端を丸くしている。
木肌を見せる僅かに残った根もとの削り残しは連結部になり本来は別な木に接木され茎を得、削られ反り返った部分は花弁となる。木から花の形へ変えられたそれは赤い染料で染められる。だが小十郎に渡されたものに茎はなく、木で造られた赤い――どこか曼珠沙華に似た花の部分だけだ。
「削り花……?」
「部屋が寂しいと蔦に言われて下男が作ったそうだ。見つけたのは辻の地蔵のところだがな」
小十郎は削り花を受け取った。雪にさらされていたのか、木肌が水分を吸って重く湿っている。
「冬だからな。供えるものもなかったからだろ。
……、地蔵の前掛けも新しくなってた。……女中たちは赤ん坊のためだと思ってたらしいがな」
地蔵の前なら通ったはずだが、全く気付かなかった。政宗は削り花を見つめる小十郎を見下ろして言った。
「地蔵は」
「地蔵菩薩は、賽の河原で石を積む子どもを救済する」
「……わかってんのか」
政宗は言った。小十郎は削り花を見つめたままだ。
「蔦が川の中で経を。そのようなところだったかはわかりませんが」
「……」
「自分のために祈っている様子はありませんでした」
政宗はそこで背を向けた。そこでようやっと小十郎は政宗に目を移した。
「それと、多分お前のため。喜多が言ってた。戦があると愛と一緒に祈ってた、と」
言いながら政宗は一度も座らずに部屋を出て行こうとする。
「今回、お前がやったことは忠義でもなんでもねぇ。俺と、愛と、赤ん坊と蔦を利用したただの自己満足だ」
「……っ」
「自分が何をしたのか、よく考えろ」
小十郎は出て行く政宗の背に額突いた。



またまんじりと待つことになった。しばらくして女中頭が現れてお医者さまがよろしいそうです、と言った。
蔦の部屋に向かう間、ごく若いころから小十郎を知る女中頭はぽつりぽつりと言った。
――奥さまは本当に旦那さまには勿体のうございます、細いお体で働き者で。旦那様が戦の間は、僅かの休みもなく写経をしたり。片倉家がもとは神職だからと言って神社にお百度参りをしたり。もちろん裸足で。一度など、小石を踏まれて少し怪我をなさいました。
小十郎の知らなかった蔦の姿だ。段々と肩が落ちて行く。
――旦那さまがお城にいる間も、火熨斗だなんだと旦那さまのことばかり。戦の間といえば畑もです。旦那様が留守の間も畑を見てくれる老爺たちに気を配って。自らお茶を持っていかれたり。時には御自分の甘味をあげてしまったり。
「……」
もはや言葉もなかった。
蔦のいる部屋にたどりつけば、女中頭は戸を示して持ち場へ戻って行った。小十郎は自らで戸を引く。そこには蔦が布団に寝かせられており、医者は脈を見ている所だった。
「どうか」
聞けば、うむ、と医者は頷く。
「お強い子が生まれますよ。乗りきられた」
「……蔦は」
「お子がいたので、川の水でも普通より体の熱が奪われなかったようですな」
小十郎が蔦の傍らに座れば、医者はため息をついた。事情はお聞きしませぬが、と言う。
「子が流れるのは、なぜか解りますかな」
「……さあ」
興味がないのではなく、本当に分からなかったのでそう言うと医者は言った。
「母御を守るためです。少なくとも、奥様の場合は」
「そうですか……」
医者の言いたいことは察せられた。
――俺とは、反対だ。



医者が帰っても、小十郎は眠る蔦の横で正座したままだった。廊下に気配が感じられなくなると、ようやっと、恐る恐るといった体で蔦の頬に手を伸ばす。
「冷たいな……」
ひとりごちて、手のひら全体で蔦の頬を包み込む。小さいな、と思う。こんな小さな体にもう一人赤子を抱えるだけでも大変だったろうに、と思う。
髪に触れる。こちらはもっと冷たく、湿っていた。ふと、政宗から渡されて手に持ったままだった削り花を枕元に置いた。削り花はもともと、彼岸に供えるものだ。なんで下男が疑問に思わなかったのか、と思う。ましてやこの工芸品は曼珠沙華に似てすらいる。
「覚悟は、できてた、のか」
子と逝く覚悟だったのか。地蔵菩薩に、鬼子母神。蔦の周りに己のことを祈った形跡がない。誰を責める恨みごともない。ただひたすら小十郎の先を案じていた。
地蔵菩薩に子を託し、己は何処に堕ちるつもりだったのか。
だが今の蔦は、冷たくはあるが人肌のぬくもりを保ち、息をしている。子も賢いのか腹にとどまった。
小十郎はずるずると、蔦の頭を包み込むように、妻の体に負担をかけないようにしながら、彼女に覆いかぶさった。顔を近づければ、尋常でない疲労の色が見て取れる。肌も雪より白いのではないか。だが唇はやわらかな――小十郎が愛でた――淡い色を取り戻しつつある。その頬へ、ぽつり、と雫が落ちた。
その刺激のためか、蔦のまつ毛が震えて瞼があがった。
黒目がちで澄んだ瞳と、小十郎の目が合う。蔦は小十郎の好いた目でまっすぐ彼を見ている。
「こじゅうろう、さま」
「蔦」
蔦が小十郎に手を伸ばして、夫の頬に一筋の跡を作った暖かいものをぬぐう。冷たいが優しい手だ。その手を取って小十郎は自分の頬や唇に押し付ける。じんわりと蔦の手の冷たさが小十郎に移り、代わりに小十郎の熱が蔦の手へと伝わっていく。そのうちに、くるりと蔦の手が反転して指と指をからめてきた。
「……ややは」
「ああ、ちゃんといる」
小十郎はそう言って蔦の手を腹へとそわせた。蔦の手、そして腹に自らも触れる。思えば、腹に触れるのは初めてのことだった。
「ああ……」
蔦はそう言って、はらはらと泣き始めた。小十郎は蔦の額に己の額を押し当てる。
「すまなかった……!」
言ってそのまま、額を離し髪を撫で、再び蔦の肩口に顔をうずめるようにすれば、蔦が肩を優しく抱いてくれた。そしてあやすように背を撫でてくる。
その蔦の耳に、押し殺した声が聞こえてきた。


――この人の、こう言う声を聞いたのは初めて。
そして、以降ずっと聞くことも見ることもないだろうと思いながら、蔦は大きな男の背を撫でていた。



蔦と小十郎の子は、十月十日に少し足らずで生まれ、色白で小さい男の子だった。左衛門、と名付けられた。後の二代目小十郎重長である。

(了)

2010年9月24日初出

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