佐藤兄弟の関係図をがんばって視覚化してみた。


※ド素人の作業なのでゆめゆめ頭から信じてはいけません。歴史学は疑うところから始まります。これでレポート書いて怒られても責任とれません。ご了承ください※
※生没年は和暦の方が正しいのですが、スペースの関係上と西暦に慣れた作業者のサボリ心から西暦になっています。そのため、太陰暦と太陽暦の計算上ズレが生じている可能性があります。あと数え年計算してません。※

以下作業者による注釈とか感想とかです。

当サイトの作品中では佐藤「三兄弟」になってます。+「片倉代々記」でも定郷・標郷・秀直の三人を指して「佐藤兄弟」とされているようです。
が、どうも良く調べると、上記のように実は四兄弟だったようです。婿「養子」(つまり、「余所の家の子」になったという)にいったから長男はカウントしないんですね。しばらく定郷のことを「長男なのに次郎右衛門とは何故に」と思っていましたがコレで謎が解けました。(「片倉代々記」は江戸自体成立なので、遡った同時代的には「兄弟」=「四兄弟」として考えられていた可能性も否定できませんが)
籐左衛門のことは実は高橋監物家(籐左衛門のところに「定郷兄」と表記されています)と秀直(大学)系の家系図にはあるのですが、標郷(次郎右衛門系)の家系図には載ってないようです。その辺りもちょっと不思議です。原史料にはなんか書いてあったりするんでしょうか。


主な参考資料

「片倉代々記」(白石市史編さん委員会編、『白石市史 4 史料編(上)』、1971)
東北歴史資料館、『佐藤家文書目録(文書目録第9集)』、東北歴史資料館、(「東北歴史資料館 資料集40」)、1996
川村要一郎編、『白石城主片倉氏と家臣の系譜』、創栄出版、1997
川村要一郎著、『白石刈田地方の苗字と家紋』、1980


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